閑話休題

新規事業に失敗して倒産したケース

前回の続きとして、今回も倒産企業に関する話をお伝えします。特に、私が起業してから数年後に経験した企業倒産のエピソードを中心にお話しいたします。この企業(以下、S社と呼称します)は、私が当時経営していた会社の主要な取引先であり、その倒産は私自身にとっても連鎖倒産の寸前まで追い込まれた非常に厳しい経験となりました。

私が当時経営していた会社は広告制作会社であり、主にカタログやチラシの企画・デザインを行い、最終的には印刷まで請け負って納品するという業務を担当していました。一部の人々からは、ブローカー的な印刷屋さんと認識されていたこともあったのです。

さて、S社は中小広告代理店でありながら、取引のあるクライアントには一部上場企業や大手新聞会社系列のイベント企業が含まれていました。そして、S社は広告代理店でありながら、その実態はイベントやそれに伴う販促ツールなどの制作業務を受注する制作会社のような収益構造を持ち、その制作自体の全てを外注していました。

創業間もない私にとっては、このS社を開拓し、S社の制作業務の大半を請け負うことは安定した収益源となりました。また、S社の仕事を通じて、大手企業の広告宣伝などのプロモーションノウハウを身につける絶好のチャンスとなりました。毎日のようにS社を訪れては、徐々に取引高を上げていきました。そして、起業3年目には、S社からの受注額は1億円近くに達し、すでに私の会社の売上高の6割を超える規模となっていました。

もちろん、S社の占有率が高いことは会社経営にとっての大きなリスクであることは重々承知していましたが、かといって、意図的に受注額を減らすようなことはできませんでした。また、当時は起業間もない会社であり、自分自身も若く、上り坂の勢いもあり、来る仕事は拒まず、どのような企業からの依頼でも、ほぼすべて受注していました。

それからさらに数年が経過した頃、この当時(1997年頃)は、ちょうどインターネットが普及し始める頃で、IT元年とも言える時期でした。この変化の流れの中でS社は、従来の印刷需要の激減に備えて新しい印刷物に特殊なICチップを埋め込んで、それを読み込む装置を使ってモニターに詳細情報を映し出すというようなシステムを開発している企業に投資し、共同開発の一角に名を連ねていました(試作品での実演を、ほんの少し見ただけでしたので詳細は不明ですが・・・)。

私がこの件を知った時には、もう1億円以上を投資しており、新規事業にどっぷりとのめり込んでいました。S社の社長の前では、「これは画期的で素晴らしい発明ですね」と、調子の良いことを言ってはみたものの、内心では、そんな面倒なシステムをわざわざ導入する企業はいないだろうと思っていました。

インターネットはもう普及段階に入っており、実際、私は自社の(簡素な作りではありましたが)オフィシャルサイトをすでに開設していました。PCが急速に普及し、「本当の意味でのパーソナルコンピュータ時代が到来していた」と感じていました。それに伴ってインターネット回線を備える企業も増え、ホームページを映すブラウザもPCに標準装備され、もちろん、Eメールも急速に普及していた1997~98年でした。どう考えても、高額な装置をわざわざ導入する企業などいる訳がないと感じていました。

S社は、ときを同じくして大口のクライアント企業の経営不振による大幅な受注減に、この過度な投資が重なったことで、1999年の6月に倒産しました。この倒産により私は、自社の年商の6割に相当する不渡

りを被るとともに、6割の売上が消えることになりました。起業して、まだ8年程度の弱小企業で、なおかつ、銀行や国金などからの借入も残っている状態での得意先の倒産で、いっきに私の会社も連鎖倒産の危機に陥ったのです。

連鎖倒産の危機をどうやって切り抜けたか、その経緯については、次回に続きたいと思います。お楽しみに。

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