ある町工場の「パン屋開業」の顛末と、私たちが大切にしたい生存戦略
先日、新大阪の古い喫茶店で、ある会話を耳にしました。「あそこの堅実な工場、新規事業が原因で……」。その瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、かつて取材した真面目な社長の顔でした。 経営者なら誰もが抱える「現状への不安」と「変化への焦り」。今回は、失敗事例を他山の石としつつ、私たち中小企業が傷つかずに生き残るための「身の丈に合った挑戦」について、少しゆっくり考えてみたいと思います。
ある堅実な製造業の「あまりにあっけない最期」
これは、私がまだ駆け出しのライターだった頃、取材を通じて耳にした、とある大阪の町工場の話です。 仮にその会社をA社と呼びましょう。
A社は、昭和の高度経済成長期に創業された、金属加工を得意とする従業員30名ほどの堅実な企業でした。特定の産業機械向け部品において高い技術力を持ち、長年にわたり大手メーカーの一次下請けとして安定した利益を上げていました。社長は二代目で、先代から受け継いだ技術と暖簾(のれん)を大切にする、真面目を絵に描いたような人物でした。
しかし、リーマンショック後の不況が落ち着き、世の中が少し浮かれ始めた頃、A社の経営に小さな「綻び」が生じ始めます。本業の受注がわずかに陰りを見せたこと、そして社長自身が「下請け体質からの脱却」という言葉に強く感化されたことが引き金でした。
「これからはBtoCだ。自社ブランドを持たねば生き残れない」
その志自体は素晴らしいものです。しかし、A社が選んだのは、自社の金属加工技術を活かしたプロダクト開発ではなく、なんと「飲食事業」への進出でした。当時、流行し始めていた「高級食パン」のような、ある種のブームに乗ったスイーツ事業です。「粉もん文化の大阪ならいける」「製造業も飲食業も、モノづくりには変わりない」──そんな、今思えばあまりに短絡的な連想ゲームで、社運を賭けたプロジェクトは始動しました。
結果はどうだったか。 初期投資こそ銀行融資で賄えましたが、飲食業特有の「水物」の難しさ、アルバイト管理の煩雑さ、そして何より「ブランディング」の欠如により、店舗は閑古鳥が鳴きました。赤字は本業の利益を食いつぶし、焦った社長は本業の運転資金まで店舗の補填に回し始めました。 そして3年後、A社は黒字だった本業ごと共倒れする形で、静かにその歴史に幕を下ろしました。
「新規事業さえしなければ、今も優良企業だったのに」
メインバンクの担当者が漏らしたというその言葉が、今も私の耳に残っています。 これは決して、特異な例ではありません。今、この記事を読まれている皆様の周りでも、似たような話を聞いたことがあるのではないでしょうか。
今回は、あえてこの「失敗」という重いテーマに光を当て、なぜ多くの中小企業が新規事業という名の「蟻地獄」に嵌まってしまうのか、そして生き残るためには何が必要なのかを、最新のデータを交えて深掘りしていきたいと思います。
なぜ「多角化」は「多格差」を生むのか?──失敗のメカニズム
なぜ、A社のような悲劇は繰り返されるのでしょうか。 経営学の視点で見れば、理由は明白です。「経営資源の分散」と「コア・コンピタンス(中核的競争力)の欠如」です。
1. 「隣の芝生」は青く見えるどころか、黄金に見える
中小企業の経営者は、常に不安と戦っています。「このまま本業一本でいいのか」「業界の先細りが怖い」。その不安の隙間に、「成長市場」「ブルーオーシャン」といった甘い言葉が入り込みます。 特に、異業種への参入は、外から見れば「儲かっている部分」しか見えません。飲食なら行列、ITなら高収益、不動産なら不労所得。しかし、その裏にある泥臭いオペレーションや、長年培われた業界独自のノウハウといった「見えない参入障壁」を、多くの経営者は過小評価してしまいます。
2. 「シナジー」という言葉の誤用
A社の社長が言った「製造業も飲食業も同じモノづくり」という言葉。これこそが、もっとも危険な思考の罠です。 確かに広義ではモノづくりですが、顧客への提供価値(バリュープロポジション)は全く異なります。金属部品は「精度と納期」が価値ですが、スイーツは「味と体験、そして世界観」が価値です。この決定的な違いを無視し、無理やり共通項を見つけ出して「シナジーがある」と自分を納得させてしまう。これを心理学では「確証バイアス」と呼びますが、経営判断においてこれほど恐ろしいものはありません。
3. 撤退基準(ストップロス)の不在
新規事業が失敗する最大の要因は、「始めること」に熱中しすぎて、「辞めること」を決めていない点にあります。 「あと少し資金を入れれば好転するはずだ」「ここで辞めたら、これまでの投資がムダになる(サンクコスト効果)」。そうした心理が働き、ズルズルと傷口を広げてしまう。本業という「財布」があるからこそ、出血が致死量になるまで気づかないのです。これは「黒字倒産」の典型的なパターンと言えるでしょう。
最新データが示す「補助金バブル」の影と現実
さて、時計の針を現在(2024〜2025年)に進めましょう。 A社の事例は過去の話ですが、実は今、これと全く同じ、あるいはそれ以上に深刻な状況が日本中で起きています。
「事業再構築補助金」という諸刃の剣
コロナ禍において、国は中小企業の業態転換を支援するために「事業再構築補助金」という巨額の予算を投じました。これは確かに、多くの企業にとって起死回生のチャンスとなりました。しかし、一方で「補助金が出るから」という理由だけで、安易な新規事業に手を出した企業がどうなったか。
東京商工リサーチの調査(2023-2024年版データ参照)によると、この補助金の採択を受けた企業の中で、事業化の道半ばで倒産に至るケースが相次いで確認されています。いわゆる「あきらめ倒産」や「息切れ倒産」です。 補助金はあくまで「経費の一部補填」に過ぎません。事業が軌道に乗るまでのランニングコストや、市場を開拓するためのマーケティング費用までは、誰も保証してくれないのです。
驚愕の「失敗率93%」
ダイヤモンド・オンラインなどのビジネスメディアが引用するデータによれば、日本企業における新規事業の失敗率は、実に93%にも達すると言われています。「千三つ(1000件のうち成功するのは3つ)」とまでは言いませんが、9割以上が失敗するというのが冷徹な現実です。
特に近年目立つのが、以下のようなケースです。
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安易なテイクアウト・冷凍食品参入: 飲食店や食品卸が、ノウハウのないまま冷凍自販機やECに参入し、在庫の山を築く。
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流行のサウナ・グランピング事業: 建設業や不動産業が、ブームに乗って施設を作ったものの、集客ノウハウがなく維持費で圧迫される。
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形だけのDX・SaaS開発: IT未経験の企業が、外注丸投げでシステムを作り、誰にも使われない「箱」だけが残る。
これらに共通するのは、「流行(トレンド)」を「需要(ニーズ)」と履き違えている点です。流行はいつか去りますが、企業経営はその後も続きます。一時の補助金やブームを目当てにした事業は、梯子を外された瞬間に崩壊するのです。
それでも挑戦する経営者へ──「死なない」ための3つの指針
ここまで厳しい話ばかりをしてきましたが、私は「新規事業などやるな」と言いたいわけではありません。 変化の激しい現代において、現状維持は緩やかな衰退を意味します。企業が生き残るためには、新たな柱を作る挑戦(第二創業)は不可欠です。
では、93%の失敗組に入らず、残りの7%に入るためにはどうすればよいのか。私たちアンツ・コンセプトが多くのクライアント様と向き合う中で見出した、3つの指針をお伝えします。
1. 「飛び地」ではなく「滲み出し」を狙う
全く未知の領域(飛び地)にいきなり旗を立てようとしてはいけません。自社の既存事業の「周辺」領域へ、インクが紙に滲むように広げていく戦略が有効です。 例えば、先ほどのA社であれば、飲食業をやるのではなく、「食品加工機械の部品製造」に特化する、あるいは自社の金属加工技術を活かした「プロ仕様の調理器具」を開発し、まずはBtoBルートで販売する。これなら、既存の技術、設備、顧客リストのいずれかを転用できます。 「自社の強み(コア)が1ミリも活きない事業」は、どんなに市場が魅力的でも手を出してはいけません。
2. 「コンセプト」こそが最強のリスク管理
新規事業において、もっともコストがかかるのは「修正」です。ブレてしまった事業を立て直すには、莫大なエネルギーが必要です。 だからこそ、最初に「コンセプト」をガチガチに固める必要があります。
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誰の(Who)
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どんな課題を(What)
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なぜ自社が解決するのか(Why)
特に重要なのが「Why(なぜ我々がやるのか)」です。ここが「補助金が出るから」「儲かりそうだから」では、社員はついてきませんし、顧客にも見透かされます。「我々のこの技術で、世の中のこの不便を解消したい」という、魂の入ったコンセプトが必要です。 コンセプトが明確であれば、迷った時の判断基準になります。「それはコンセプトに合致するか?」と問うことで、無駄な投資や機能追加を防ぐことができる。つまり、ブランディングとは装飾ではなく、「やらないことを決める」ためのリスク管理術なのです。
3. 小さく産んで、大きく育てる(リーン・スタートアップ)
最初から立派な店舗や工場を建てる必要はありません。まずは試作品を作り、既存の顧客に見せてみる。LP(ランディングページ)だけ作って反応を見る。そうした「テストマーケティング」を徹底してください。 致命傷を負わない範囲で、小さな失敗を繰り返す。そして、確かな手応え(PMF:プロダクト・マーケット・フィット)を感じてから、初めてアクセルを踏み込む。 昭和の経営者は「男のロマン」でドカンと投資しがちですが、令和の経営者は「科学的な臆病さ」を持つべきです。
アンツ・コンセプトとしてのメッセージ
「新規事業」という言葉には、甘美な響きがあります。 本業の閉塞感に悩む経営者にとって、それは希望の光に見えるかもしれません。しかし、光が強ければ強いほど、その足元には濃い影が落ちます。
私たち株式会社アンツ・コンセプトは、これまで多くの中小企業の「光と影」を見てきました。 ロゴマークを作ることや、綺麗なウェブサイトを作ることは、私たちの仕事の一部でしかありません。私たちが本当に提供したいのは、「社長、それは御社がやるべきことですか?」 という問いかけであり、共に膝を突き合わせて考える「参謀」としての時間です。
もし今、あなたが新しい事業を構想されているなら、あるいは既存の事業に行き詰まりを感じているなら、一度立ち止まって考えてみてください。 その事業には、御社だけの「物語」がありますか? その挑戦は、社員や家族を幸せにする「勝算」がありますか?
流行りの横文字や、表面的なテクニックに頼る必要はありません。 御社の中に眠る、泥臭くも確かな「強み」を見つけ出し、それを「売れる価値」へと磨き上げる。 それこそが、私たちが考える「ブランディング」であり、中小企業が荒波を越えていくための唯一の羅針盤だと信じています。
新しい一歩を踏み出す前に、まずはじっくりと、お話ししませんか。 本物の価値は、いつも足元に埋まっているものです。